キネステ(キネステティク・クラシック)って何?と聞かれたので、答えのバリエーションを増やしてみました。
これを読んでる方は、ほとんど日本語話してますよね。
日本語は言語です。
なので、一応、法則性があります。法則性が無いと、言語としてたくさんの人が共通認識を持って使うことができません。
それを、学習では、「文法」と言います。
私の母語は日本語です。母語とは、周りの人が使っている言語を聞いて体験していって、特別な学習という形ではなく、自然に獲得した言語、みたいな意味です。
その、母語である日本語以外の言語を学んだとき、英語でもドイツ語でも、私はその言葉を使えるようになるために、「文法」を学びました(でも使えるようにはなってないけど)。
それに対して、日本語で「文法」を学んだのは、学習としての学習のためだけです。日常生活で使うためには、文法は必要ではありませんでした。
これが、
・使えるようになってから文法があると言われて法則性を知る母語
と、
・使うための道具として文法を学びながら習得していく母語以外の言語
の、違いです。
ところが、日本語を母語としていない人に日本語を教えようとすると、その事によって逆に自分の日本語が法則性から外れていることに気付いたりします。
使えているけど、使い方自体は間違っている事があるのです。
日常では不便は感じませんし、同じ様に日本語を母語として居る人と話すときは推測してくれたりするので困りませんが、法則性から外れていることに変わりはありません。
文法ではなく単語なので適切な例ではないのですが、「めばちこ」という単語で説明してみましょう。
知ってますか、「めばちこ」。
知ってるあなたは関西の人ですね。
これは関西地方で「ものもらい」を指す言葉です。
関西圏から出ない人は、それが標準日本語ではないことを知らないことがあります。別に、それで困りません。
ところが、標準的な日本語を、ある程度成長してから母語としてではなく学ぼうとしている人にとっては、「めばちこ」は間違いです。
使えるけど、もっと使いやすい(通じる)ものがある、という点で、「めばちこ」は文法から外れていると言うことが出来るかもしれません。
「めばちこ」も知っていた上で「ものもらい」も知っていれば、日本で生活しやすくなるでしょう。
で、ここで、身体の使い方の話です。
私達の大半は、身体の使い方を、「学習」としては習っていません。周囲を観察したり体験したり失敗したりを繰り返して身につけています。
なので、自分のしている動きは、知らずに「めばちこ」的になっている可能性があります。
「ものもらい」的に使っている分には起こらないトラブルが、年月を経ると出てくる場合があるのです。
具体的な一例を挙げると、腕の使い方です。
自分のしている動きが「めばちこ」的な「腕は肩から」になっていると、「ものもらい」的な「腕は肩甲骨、鎖骨から」で動いていたら起こらないトラブルが起こることがあるのです。
「動けてるから動きの学習なんて必要ない」とか、
「五十肩なんだ。薬飲んでるけど治らないんだけど、もっと治療した方がいいかなあ」とか、
「子どもの頃から猫背なんだよね」とかいう方は、自分の動きの文法を見直してみる事をお勧めします。
なお、めばちこにも関西の方にも、揶揄する意図や恨みは全くありません。めんぼでもめいぼでもめっぱでもばかでも良かったんですが、一番有名なのを選びました。めばちこ派のかた、失礼致しました。