「一瞬」も「永遠」も、どっちも噓で、どっちも必要(キネステティク・クラシック ネオ)

「一瞬も一生も美しく」ってキャッチコピーがありますね。
今回のタイトルは、それのパクリでは有りません。

「君を永遠に愛する」という台詞があります。
結果的にはそんなん無理かもしれないんですけど、その瞬間はそう思ってるわけです。その瞬間はそう思っていても、それを永遠にするには瞬間を積み重ねなくてはいけません。
この場合、一瞬も永遠も噓ですし、どっちも本当です。

「一瞬でなおります!」ってヒーリングがあります。
その瞬間はなおった気がするかもしれません。でも、それを作った原因がそのままなら、またぶり返しますよ。
一瞬で改善!とか、すぐなおる!!とか、あなたのやってきたことは、そんなに簡単に覆されることですか?
上の言葉は、呪いじゃないですよ。単なるほんとのことです。
一瞬の「!!」も、きっかけにはなるでしょう。でも、長年かけて作ったものは、一瞬ではなおりません。なおる、という決意や気の持ち方が変わるだけです。それだけでもずいぶん楽になることはありますが、それを持続しないと意味無いのです。
そういう意味で、私は「一瞬で改善!!」しか言わない人は信用しません。「それを保ちたいならこれこれに気をつけろ(永遠に)」とセットじゃないと。
これも、一瞬も永遠も噓ですし、どっちも本当です。

もう一個例を挙げると、昨日、家に有った半端な布で、和装のときに使う腰紐を縫いました。
伝統的じゃない小袖バージョンの腰紐、三本しか作ってなかったんで。洗濯するならもっと有って良いし、小袖生活案内人の吉房先生は、腰紐は腰紐以外にも使えるよ!と教えてくださるので、可愛い布で作りたくなります。

「普段も着物を着ます」と決めるのは、一瞬です。決意は大事です。決意すれば現実が変わります。しかし、それを実際行うためには、腰紐を縫ったり、小袖や半着を縫ったり、持っている着物を縫い直したり、洗濯したりしなくてはなりません。それは日常=永遠です。
これも、どっちかだけでは意味がない。
着る!って決めても着るものが整えられないと無意味だし、一式揃えても「人に見られる勇気が無い・・・」とか言って着るって決められないと意味ないです。

というように、高揚を伴う一瞬を支えるのは、永遠にやらないといけない、こまごましたつまらないような事です。
「一瞬で」も噓だし、「永遠に」も噓。
「一瞬」だけでも、「永遠」だけでも、ちょっとずつ足りません。

令和婚で永遠を誓った人にも、日々の日常は絶え間なくやって来ます。永遠を本当にするには、日常を積み上げなくてはなりません。

同じように、どこかの不調を抱えた人や、老いて行く全ての人は、何らかの不具合をなんとかしたいと思う余りに、「一瞬で!」「これだけで!」「毎日飲むだけで!」「ゴッドハンド!」みたいなものを欲することもあるでしょう。

あなたの人生が一瞬で無い限り、一瞬だけでは足らないのです。
永遠に続けられる何かと、セットじゃないと。

ってことで、一瞬の何かで良くなった身体を、日常で維持する為に、身体の構造とスタンダードな使い方を学んでみませんか。
キネステティク・クラシック ネオを学ぶと、地味に思える瞬間の積み重ねが、興味を持てる実験になります。

ちなみにキネクラネオは「一瞬で!?」にも対応しております(爆)
そのお得さは、体験会で実感していただけるかもしれません。

キネクラネオ。
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