「キネステが使えるような余裕のある職場じゃないんです」という誤解・2

お待たせしました、1の続きです。

ベッドに寝ている人を、頭の方に動かそうとする動作をしていて、上半身(っていうか腕)をいためた話。
手っ取り早い対処法は、立ったまま腰を曲げてベッドと寝ている人の間に手を入れて動かす動作をしているのであれば、股関節と膝をまげて腰を落として動かす動作をするようにして、腕だけで何かするのをやめることです。

・・・ってところまで話していたら、思わぬところに話が転がりました。
その方が、なんで、そういう動作をしているのか。
最初は腰を落としていた。
痛くなったのは最近で、確かに腰を落とさなくなってからだ。
腰を落とせばいいんですねー!・・・あれ???
あー!!!
腰を落とさなくなったのは、動かすときにベッド柵をはずすのを止めたからでした!!!

ベッド柵をはずすのを禁止されたわけではなくて、ベッド柵をはずして戻す時間が短縮できるのではと思ったから、そうし始めたそうです。
でも、結果的には身体をいためました。
おそらく、はずしたときには、「時間(しかも、キネステ用語で言うところの、外側の時間)」が気になって、それをしたときの自分の腰や背中や腕の緊張(キネステ用語で言うところのキネステティク感覚)に注意を払うことを忘れていたんでしょう。でも、キネステティク感覚は、無視しているとそのうち痛みなどのトラブルになってより分かりやすく感覚を刺激してくれるようになったりします。
内側の感覚を無視して、外側の感覚を優先した結果です。

もうひとつ。
ベッド柵は、「環境」です。
ベッドに寝ている人にとって環境なのはもちろんですが、介助する人にとっても、重要な「環境」です。
そして忘れがちなのですが、介助する人自身も、ベッドに寝ている介助を受ける人にとっては、「環境」です。
介助を受けるの人に影響を及ぼさない範囲であれば、自分の環境をきちんと整えて動くことが、結局は介助を受ける人にとってより望ましい環境を提供できるということになります。

更に言えば、ベッド柵をはずさないで時間を短縮しているつもり・・・が、実は無理な体勢での作業で、その分時間をとっているかもしれません。もし、時間短縮になっているとしても、そのせいで身体をいためて仕事が出来なくなるとしたら、短縮された時間はそこでチャラです。

ということで、今日の誤解:
1.自分の内部の感覚であるキネステティク感覚を使って自分が楽に居ることは、相手にとっての環境整備にもなる
2.ゆっくり急ごう(外側の時間じゃなくて内側の時間をちゃんと意識して使う)
何度も書きますが、誰かをなんとかする前に自分をなんとかすることが、結局は誰かのためです。
最大の介助は、自分を楽にしておくこと。人に何かするのはその後です。
そして、自分を楽にするキネステは、自分が何かしようと思って何か少しでもできる間は、どんな環境であっても、生きてる限りはずっと使えます。
職場の余裕は関係ありません。キネステがあらゆる意味で使えないとしたら、無いのは外側の余裕ではなくて、自分の内側の余裕です。
いかなるときにもキネステを!思い出したときだけでいいんで!!

以上、「キネステが使えるような余裕のある職場じゃないんです」という誤解」についての、現時点での私見でした。


2 Comments

  1. いやぁ、すばらしい。
    キネステティク・クラシックの心髄を的確に捉えていますね。
    そうなのですよ。「キネステが使えない」という人は使い方を知らないのです。
    キネステティクは動きの分析のツールですから、「動きを分析する」ときに役立ちます。
    人を動かすという考え方に使うツールではないですよね。
    世の中、特に介助関係の人達、団体にはそこが誤解されています。
    何かをしていて不都合があったときに、まずは自分の体の動きを分析する。
    そのときに闇雲に考えようとすると、本筋に気づかない。
    自分の習慣的判断が現実的でないので、いつも問題点を見落とすからですね。
    そこで、キネステの6つの概念に照らし合わせて考える。
    すると、問題点に気づき、「自分が気づいていなかった」ということに気づけます。
    このような2番めの気づきをベイトソンは二次学習と呼びました。
    この二次学習をしない人は、「キネステをつかえない」と言います。
    つかさんは二次学習を理解しているので、参加者はラッキーですね。
    素晴らしい。

  2. さあさん、有難いお言葉、ありがとうございます・・・!!
    でも、これにほんとうに気付いたのは、キネステティクス(R)のときではなくて、キネステティク・クラシックになってからです。エサレンでもクラニオでも、今までの学びで言われた「まずは自分」ということの根拠をキネステを学んだことで言語化できるようになったのですが、今ひとつ「誰かに何かをする」ことを目的に来た方たちにそれを強く押し出すのに気が引けてました。
    ですが、クラシックになって、パーソナルレベルではまず自分のことを徹底的にやる、そのためには二人で組む必要は無いということを、里美さんとさあさんが明確に線引きしてくださったので、たとえ参加者さんに二人組の介助が少なくて役に立たなかったといわれても構わないやと何か吹っ切れました(笑)でも、結果的には、「まず自分」を徹底する内容になってからの方が、自分で気付いてくれる参加者さんが増えたという・・・。
    いやー、段階を飛ばして自分を置き忘れてても何も積みあがらないんですねー。
    これからもますます、参加者さんに勝手に気付いてもらえるようになっていきたいと思います!?!

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