こういう感覚を感じています、という言葉の落とし穴(キネステティク・クラシックの感覚と言語化の話)

一昨日はこちらでキネステ体験会をやらせていただきました。
その模様についてはそちらに書いたので興味のある方はそちらをご参照頂くとして、体験会を(私が)紛糾させた、感覚の話です。

キネステティク・クラシックでもネオでも、最初に「感覚」を扱います。
感覚には明確な定義があります。
感覚器が刺激を感じるものが感覚です。
それ以外は感覚ではありません。
すっきりしていますね。
でも、時々こういうことが起きます(実際の例とは一部変えてあります)。

「こちらへいこうという感覚を感じました」
「どっちに座ろうかなあという感覚を感じました」

はい、上の二つは、感覚器が感じたことではありません。
脳の判断、考えたことです。
細かく言うと、もしかしたらこういうことかもしれません。

「あちらにドアがあるのが見えました。なので、こちらへ行こうと思いました。」この場合、ドアの存在を感じたのは視覚と言う感覚です。

「椅子が二つあいているのが見えました。お好きな椅子に座ってください、といわれました。どっちに座ろうかなあと思いました。」この場合、椅子が二つあいているのを感じたのは視覚と言う感覚、座ってくださいという音を感じたのは聴覚という感覚です。

どちらも、感覚を使ってはいます。
けれど、「こっちへ行こう」「どっちに座ろう」は、感覚ではありません。
上の例くらいだったら別に実害は無いのですが、感覚とそうでないものを混ぜると、時々、めんどくさいことがおきます。

「ドアをバタン!と拒絶するように閉められた」
「渡した書類を箱に嫌そうに放り投げられた」

上で感覚器である聴覚が受け取ったのは、「ドアがバタン!と閉められた」です。拒絶されているというのは、音を聞いた側の判断です。
下で感覚器である視覚が受け取ったのは、「渡した書類が箱に放り投げられた」です。嫌そうに、というのは、判断です。

感じることは、考えることとは、違います。
それを体験会で指摘しちゃったので紛糾してしまったのですが、紛糾するということは、感じると考えるを混ぜている人が、いかに多いかということでもあります。
とくに、人の気持ちを慮る習慣のある人は、混ぜがちです。
できれば普段から時々意識して「感じる」を眺めてみることをお勧めします。

こういう説明は講習の中ではほとんどしませんが、気がつくと変わっていた、ということがよくあります。
「キネステを知ってから、イライラしなくなりました」
「キネステを学んだら、自分にゆとりができた気がします」
などのご感想を頂くこともあるんですよー。

感覚について考えてみたいけど、一人だと難しそうだわ、という方は、こちらをご覧ください。

お問い合わせはこちらからどうぞ。

お名前(必須)* 
メールアドレス(必須)* 
お電話番号  - -
ご用件(必須)*


コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。