痛みのある人のキネステでの介助・その4 「自分で動けた、と感じてもらえるような介助をする」

先日の記事の続きです。

・ゆっくり丁寧に
・ご本人に聞く(言語ではなく聞く場合もあり)
・自分で動けた、と感じてもらえるような介助をする
・相手の状態(この場合は痛いということ)に、自分が引きずられない

・・・という、痛みのある方への介助のとき気をつけている四つのこと。
本日は三つ目の「自分で動けた、と感じてもらえるような介助をする」についてです。

何回か例に出していますが、椅子からの立ち上がりの介助。
転倒防止と重心を近づけるために座った人の足の間に自分の足を置き、座った人の腰に手を回し、自分につかまってもらって、一、二の三で立たせる・・・
というのが、割とよく見る介助です。
でも、自分で立つとき、こうやって立ってますか?
その立ち方が出来るのは、よっぽど急いで飛び上がって立つときくらいのものです。
やってみようとすると分かるのですが、上で書いた介助のように立とうとすると、立ち上がる過程で、立つ人の足に重さがかかりません。足に重さがかかるまでの間、介助されている人の重さは、介助している人が持ち上げているということになります。介助している人にとっては、それが腰痛の原因になります。でも、介助されている人にとって良いことなら、止むを得ないという考え方もあるかもしれませんね。でも、自分で立てない方法で介助されることは、介助される人にとって良いことなんでしょうか。

この前ブログに載せたブルドッグの赤ちゃんの寝返りの動画についたコメントを見ていたら、「かわいそう!」というものがありました。寝返りできるようになるまでの震えぷりがかわいそうだから、動画を撮ってないで手伝ってあげなさいというような内容です。
だけど、よく考えてください。ブルドッグの赤ちゃんは、初めて寝返りしようとしています。「寝返り」という動きを学んでいるわけです。手伝い方にもよりますが、寝返りさせてあげてしまうと、自力での寝返りの動きの学習を妨げます。ひとりで寝返りできるように見守って、どうしてもできないとか危険な状態になったとかいう時に少し手を貸して学習を手伝うくらいが本犬の学びを妨げない手伝いです。ころっと転がしてあげるのは、昔よく言った「小さな親切、大きなお世話」です。

ブルドッグと人間を一緒にするのはどうかといわれるかもしれませんが、生き物としての学習(ご年配の方の場合は再学習)という意味では、子犬も人間も同じです。
自力でできる動きを手伝うことは、学習になります。
自力で出来ない動きとして手伝うことは、「この動きはあなたひとりではできません」ということの学習です。
「もうひとりでは動けなくなってしまった」と思う原因を、介助する側が日々つくっていることになります。繰り返されると、こういう介助を邪魔しない、ぶら下がるのが上手な人が生まれます。これは、ご本人の怠慢でもわがままでもなんでもなく、周りが対応していった末に行動に現れるようになった、学習の成果です。
これがご本人にとっていいことならいいんですが。

百回痛いといっていた方が、「自分で上手く動けるようになった」といってくださったのですが、それはキネステ的にはとても嬉しいお言葉です。
動かしてもらったから、手助けしてもらったから出来たではなくて、自分で動けるようになったと感じてくださった、ということなので。
できることが増えると、嬉しいですよね。
子供でも、大人でも、いくつになっても同じだと思います。とくに、何かのトラブルで一度出来なくなったことがまた出来た、というのは、生きる自信にもつながるのではないでしょうか。

キネステティク・クラシックでは、自然な介助を体験を通して学びます。それは特別なことではなく、自分が無意識にやっている動きを改めて見直して、それを普遍的な動きに置き換えて、介助する時に相手に対して使ってみたりします。
どんなことをするのか、百聞(百筆?)は一見に如かずです。
ご興味のあるかたはぜひ、体験会やコースの見学にいらしてくださいご連絡お待ちしています♪

 

 


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