合唱とキネステに見る、学校教育と外の世界のずれ

先日、子どもの学校でクラス対抗の合唱コンクールがあり、聞きに行ってきました。
みんな真摯に歌っていて素晴らしかったのですが、終わった後の講評で外部の音楽家の方がおっしゃっていたことに、なるほど~と思わされました。
子ども達の審査基準の中に、「態度」みたいなものがあり、それに基づいているのか、歌う前に指揮者の合図でみんな一斉に足を開く姿勢(このあたりでは体育の「休め」の姿勢です)を取っていました。それが、歌うのには不向きだというなが講評の中のひとつだったのです。

足を開きすぎると、緊張する。そうすると音楽的にはよろしくない。一律で足を開く姿勢を取るのではなく、楽に声のでる姿勢を各自がとった方が、音楽的にはよい影響がある。

これを聞いて、学校教育と外の世界には、こんなことでもずれがあるんだなーと思いました。
学校教育では常識とされていることが、ずっと前に決定したまま変えられずに古くなっていて時代に合わなかったり、特に根拠がなく決められていて「とにかくこうするものだ」と決まっていたりすることがあります。
上に書いた講評から考えると合唱もそうでしょうし、ケアの世界でのやり方もそうです。
キネステティクは(キネステティク・クラシック ネオだけでなく、どのキネステティクも)、公的な教育過程の中に組み込まれていません。介助についての別の考え方が、数十年前からケアの標準となっています。これは国家試験にも出題しれるので、試験を受ける学生さんは、キネステがいいなと思ったとしても、従来のケアを覚え込まなくてはいけません。そうしないと試験に合格しないからです。

そんな教育の中でも、キネステティクのできることに気づいてくださる方が増えてきました。
25日に発売になる『看護教育』から、NKAの中本理事による、キネステティク・クラシック ネオについての連載が始まります。
ケアの世界でも、根拠のある、社会とずれの無い教育が、今後行われるようになっていくかもしれません。


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