自然な自分に還る。
元の自分に戻る。
・・・とか、よく言いますが。
動きの学習的には、
元の自分には、戻れません。
太字にしましたが、戻れないんですよー。なかったことには、出来ないんです。
ならどうするかというと。
今やってる動きを、今やってない動きで、ひたすら上書きします。
習慣が出て来たら上書き!
習慣が出て来たら上書き!
モグラたたきのように、上書き上書き上書き!!!
・・・と、
今やってない動きが今やってる動きに取って代わって新しい習慣となるまで、上書き上書き上書きを繰り返します。
元に戻るんじゃありません。
たとえ元やってた動きであっても、再学習するんです。
戻るだけと違って、とーてーもーめんどくさいです。
何かメリットがないと(または、今までやってることに何かデメリットが生じないと)、やってられません。
関わらせていただいている方の中には・・・っていうか、自分も含めてほとんど全員、無意識に動くと慣れた動きをしちゃっていることがよくあります。
それを、「こうすると楽だね」「痛くないね」「筋肉が無駄に働きすぎないで、骨できちんと重さが床に流れるね」という動きに、気を付けて直し続けます。
そうすると、ある日気がつくと、困っていた状態がなくなっている、ということが起こ(ることがあ)ります。
おめでとうございます。
前よりも無理の無い動きを、自分の力で再学習しました。
・・・ってことで、自然な自分に還りたかったら、手間と時間がかかります。今身に付いてる習慣が身に付くまでにも相当年月がかかっているんで、別なことを上書きするのにも時間がかかるのは当然なのですよね。
根気よく、自分に構ってあげましょう(含自戒)。
「手間と時間がかかる」では足りません。「てまとじかんと金がかかる」です。学習には金がかかります。黙って座っていては手に入らない物があります。他の人の知識や手間をいただかなければならないこともあります。その代償を惜しまなければ学習がすすみます。その金を稼ぐために働くのです。そうすると皆さん潤います。いいかんがえだとおもいませんか?
さあさん、コメントありがとうございます。
コメントを書かれた後に「言い過ぎたかも」と書かれていましたが、全然そんなことは思いません(なので、承認してしまいました)。
さあさんが書いたことは、勤め人しかしたことの無い人には???かもしれませんが、自力で仕事をしようとした人には良くわかる、というか、当然の感覚だと思います。
私は卸売りに勤めていたので、「卸って商品の横流しなのに中間マージンとってて変じゃない?」みたいに会社員時代から言われることがありましたが、マージンを払うだけの価値があったから、産業として成立していたんです。
それと同じことが、個人でも言えますよね。
さあさんの言っている、何かを得たいときに他の人の知識や手間を頼ることの代償は、卸売りの取る利益と同じです。
もうひとつ。
なんでも安ければいいとか、教育や健康に関することで儲けるのは汚いとか、できれば只でノウハウを得たいとか、物ではない技術的なもの(これは、絵を描く友人、手技をする友人、物を作る友人、縫い物をする友人などの総意)にはお金を払わないとか、そういう人が時々居ますが、そういう人は「それがそうなるまでにどういう過程を経てきたか」に対する想像力が無いのではないかと思います。
安い食べ物は、安い理由があります。
安い服にも、安い技術(?)にも、理由があります。
安いものを求める人と同じ人間が提供している以上、絶対に理由があります。
「不動産にお買い得は無い」というのは不動産に携わっている人から聞いた言葉ですが、他の事も大体同じです。なんか理由があるんです(お客さんに来て欲しいから安くする、というのですら、売る側が買う側に遠慮しているという理由があります)。
只で知識を得たい人とか、安く知識を得たい人は、「得する自分」が欲しいというのが第一の目的になっているので、学習の目的が最初から逸れてしまってます。
そのものに価値を感じていて、存続して欲しいと願うのであれば、得たいものの対価は、ぼったくりで無い限り、払った方がいいです(美味しいと思う店には時々行って美味しいと具体的に伝える、というのと同じですね)。
ぶっちゃけ、「すごくいいものをありがとう、感謝しているわ」と言ってお金を払わないというのは、提供する側から言うと、態度と言葉が一致していません。
あなたの感謝しているすごくいいものに本当に価値があると思っていて、私(と、私がそれを身につける過程)を普通に人間として尊重しているなら、対価を払ってくださいねというのが正直な気持ちです。
・・・って長くなったので、ブログにもコピペしておきます。
失礼しました。
まったく、そのとおりですね。
わたしは技術やさんが好きなので、技術にお金を払うことに抵抗がありません。
美味しいピッツァを食べられたら、喜んでカネを払うし、まずいピッツァを食べても喜んでお金を払います。
二度とこないけど、他の店で美味しいピッツァを食べたときの幸せを強くしてくれたことへの対価です。
同じように、バイク屋さんにも、珈琲屋さんにも、やおやさん、農家、燻製屋さん、すべての職種の技能に感謝です。
知識や技術にお金を払わない人は技術者になったり、教育者になっても、質の高いものを提供できないようです。
ありがとうございます。
コメントありがとうございます。
美味しいピッツァに対する姿勢だけではなく、まずいピッツァに対する姿勢も見習いたいと思います。
そうすると世の中はかなり平和になるように思います(でもきっと一旦怒ってはっ!と思い出すくらいな感じでしょうが、多少は平和になると思う・・・)。