学習について、先日思ったこと。
何か新しいことを学びに来て、質問タイムのときに、「それは●●(その人がそれまでに経験したほかの何か)で言うとこういうことですか?」と聞く人が時々居ます。前にボディワークの講習でも参加者同士として会ったことがあって、そういう人に遭遇するたびに、「この人はどういう意図で質問してるんだろう」と思っていました。
時は流れて、今ではキネステティク・クラシックのファシリテーターになった私は、質問される立場になることも出て参りました。
で、そういうときは、こう答えています。
「●●のことは、知りません。これはキネステの講習なんで」
(「さあ、どーなんでしょうねー、分かりませんねー、分かったら教えてくださいねー」ということも)
質問者さんの知っていることを、私は知ってるとは限らないんです。
私はキネステのファシリテーターだけど、●●の専門家じゃないので。
知ってても、私の解釈は、他の方の解釈とは、違うかもしれませんし、説明できたとしても、キネステの言語化の練習のためには、おうちに帰ってから、ご自分で調べたり、考えてくださるのがいいかな!と思っています。
・・・と、もうひとつは、出来ればみんなが共有できることを学べる時間にしたらいいかなと思っているので、他の参加者さんと共有できない●●についてあんまり時間を使いたくないかなと思います。キネステの講座でみんなが共有できるものは、みんなに関わりのあるもの(身体とか)と、みんなが学習するつもりで参加しているキネステで扱うものです。それ以外は、質問されてたとえ答えたとしても、質問者さんと私のうちわネタみたいになってしまいます。私が他の参加者さんなら、それはあんまり楽しくないので、あんまり時間は使わないことにしています。
ついでに。
前にさあさんことNKAの澤口理事が書いてましたが(書いてましたが、どこに書いてたか分からなくなったので似たように再現してます)、学習とは、辞書で引くと「ならい学ぶこと」とあります。
「ならう」は、漢字で書くと「倣う」なので、まねすること。辞書で引くと「すでにあるやり方、例をまねて、そのとおりにする。手本としてまねをする」とあります。
「学ぶ」は、辞書で引くと「教えてもらっておぼえる。見習って知り覚える」。
つまり、学習するときは、一旦は、真似しないといけないんですね。
せっかくキネステを存分に味わえるキネステの学習に来ているのに「これって●●ではどうなんだろう」と考えるのは、もったいないです。
ということで、今後も「それは知りません」ということがあると思いますが、意地悪で言ってるわけではなく、上記のような理由なので、ご理解または気にしないでいただけるといいかなーと思います。
パチパチパチ.
そのとおりです.
新しいことを学習しようとする時に,過去に学習したことからの延長として理解しようとするのは学習の妨げになります.
だって,その質問者は●●を学習しても理解できなかったことを,学習しに来ているのですから,●●の言葉で理解しようとすること自体が無理なのです.
でも,そういう質問をすることはいつもそうします.過去にとらわれているのです.その「過去にとらわれている態度」が新しいことを学習できない原因なのです.
でも,直接指摘すると嫌がります.
だから,つかさんのように「さぁ,●●についてはよく知らないんですよぉ」というのは良い態度だと思います.
わたしもそれに気づいていれば,嫌われなかったかも(いやいや,そんなことだけではないから).
さあさん、ありがとうございます。
キネステだけで言えば、道具なので、道具として他のことを分析するのに使うのはいいと思うのですが、キネステを理解しないうちに比較するのはそれとは違うと思うのです。
目先のことにとらわれず、受講生さんがキネステを道具として使えるようになることをファシリテートするように、気をつけたいです。
学習については「学びて時に之を習う.またよろこばしからずや」です.
これは孔子の書いた論語の学而編の最初の言葉です.
「新しいことを教えてもらったら,しばしばそれを繰り返して身につける.これはとても楽しい」という意味です.
まったく,このとおりですね.
ありがとうございます。心の中のキネステ関連名言集に加えておきます(忘れるからメモすべきかも)