はい、昨日の「キネステで自分のトリセツ」の、続きです。
何回もお話しても、自分を痛める動きをやめない人が居る。
ひとつの例をお話しても、他の例に応用しない方が居る(たとえば、食卓の椅子に座ることと、ソファーに座ることは、同じ「座る」ですが、お話したことが応用されない)。
こういうことを繰り返して、あらためて身に染みて思ったのが、「なぜキネステティク・クラシックでは、感覚が一番最初の概念か」ということでした。
自分を痛める動きをやめるためには、自分を痛める動きをしていると気が付くことが必要です。
「痛み」は分かりやすい例ですが、痛くなる前にも、身体に無理をさせているサインは、出ています。
そのことに気が付いて、やめるという選択をすれば、痛くなるまで身体に無理をさせることは、ないかもしれません。
何かに気が付くためには、いくつか必要なことがあります。
気が付くって、「別のものと比べて、『違う』と感じること」であることが、ほとんどです。
「別のものと比べて、『違う』と感じること」の中には、大きく分けて二つの要素が含まれます。
違うと分かる知識や経験(これは今回は説明省略)と、感じるための感覚です。
感じないと、気がつかないんですよ。
気がつかないと、対処できないんですよ。
この、感覚という概念、中でも身体や動きに関する感覚は、コースでは最初に体験と説明をしますが、あとは自分で可能な限り、意識し続けます。
コースの中だけでなく、日常でもです。
それをするかどうかで、その後の学びが全然違ってきます。
たとえば、私は、エサレンマッサージというボディワークをやります。その仲間たちがキネステに来てくれたことがあるのですが、彼女たちはキネステの理解がスムーズでした。なぜかというと、「身体を感じる」ということは、エサレンのプラクティショナー(施術者)が、プラクティショナーとして養成される過程で必ず受ける、必要不可欠なプロセスだからです(で、プラクティショナーとしてのセッションの中でも、常にそれを使っていきます)。
でも、日常では、そんなことをゆっくり感じている余裕はないことが多いですね。
私たちは頭で考えていることを達成するために、身体の感覚をある程度切り捨てて暮らしているのです(じゃないと東京の満員電車には乗れません)。
感じないと、気がつきません。
気がつかないと、対処できません。
なので、身体のトリセツを作るときは、感じる練習をしていただきます。
今まで使ってこなかった道具なので、それなりに時間がかかりますし、簡単じゃありません。地味で、はたから見ても何してるんだか分からない、自分の身体の感覚を感じる再教育を続けることに、意味を見出せない人も多いです(それが、保険利用のマッサージを受ける人の大半が結局身体の使い方を見直せない理由)。
でも、その感覚は、あるんです。
実は、生まれる前から、一番最初からあるんですよ。
それを人にゆだねて、明け渡しといて(「私、こってますか?」とか「マッサージしてもらえるからそれだけでいい」というやつですね)どこに「自分」がいるというんでしょう。
キネステティク・クラシックを介助に使うときは、その時その人の動きに足りないものだけを、介助します。
足りてるものは、使ってもらいます。
そうしないと、使えなくなるからです。
感覚がない方には感覚を貸しますが、感覚の使い方を忘れている人には、貸しません。
先に、感覚を思い出してもらえるようなことをして、思い出してもらいます。
でも、それは、「ご本人が望めば」、です。
「マッサージしてもらえるからそれだけでいい」という選択をしたいなら、それで構いません。
いつかツケが回るのは、ご自分です。
ツケが回りたくない方は、「キネステで自分のトリセツ」に来てみてください。
7月3日にやりますと書いてありますが、「この日がいいです」というリクエストも募集しておりまーす。
リクエストも、お申し込みも、お問い合わせも、こちらのメールフォームからどうぞ。
またキャラを考えてみた「トリセツきねちゃん」(※懲りません)