キネステティク・クラシックのパーソナルレベルって、何をするんですか? ユニット5(兼、箸をへし折る話の補足)

「キネステティク・クラシックのパーソナルレベルって、何をするの?」の続き、ユニット4を書いて無いのに、訳あって先にユニット5です(概要はこちらユニット1はこちらユニット2はこちらユニット3はこちら)。

で、訳とは何かというとですね。
フェイスブックに、センサリーアウェアネスに参加したときのことを書いたブログへのリンクを貼ったところ、次のようなコメントを頂きました。

「妙に敏感になると。社会に適応しにくくなる、という話?」

そうですね。それもひとつの感覚の側面だろうと思います。
で、それについての話をするのに、ユニット5の内容が関わるので、以下、ユニット5の説明をしてから、フェイスブックに頂いたコメントについての話を書きます。
ユニット5の説明は不要な方は、最後のほうまでスクロールしてください。

キネステティク・クラシックのユニット5では、それまでやった概念を全部使って、「介助者の能力」「ヒューマンファクタリング」「環境」という概念を扱います。
っていうか、最後の「環境」を、それまでやった全部を使ってやるといったほうが良いかもしれません。環境とは、どうしたら介助される人が自分の持っているもう力を使って快適に過ごすことができるかをやってみる概念ですが、ここには、そこまでに学んだ、快適とは何か、動くために必要な要素は何か、環境を整えるってどういうことか、介助を受ける人が今行いたい動作をするのにふさわしい環境とは何か、みたいなことが全部入ってきます。

で、その「環境」の一部として「介助者の能力」があり、「環境」の裏付けとして「ヒューマンファクタリング」の考え方があることを、「環境」の前に学びます。

「介助者の能力」という項目が環境の一部として扱われるのは、介助者は介助を受ける人にとって環境だからです。キネステでは周りの人も物もひっくるめて、全部環境であると考えます。
介助を受ける側がどういう状態であるかは、介助の計画を考えるときによく取り上げられますが、介助をする側の能力については、あまり取り上げられることがありません。
介助をする側の能力の評価の基準が何であるか、人によって考え方がまちまちだからかもしれません。
速い事が良いのか、安全なことが良いのか、安心なことが良いのか、話しかけてくれることが良いのか、力が強いことがいいのか、何でもやってくれるのがいいのか・・・と書いてみたらきりが無いですね。何できりが無いかというと、介助される人によってや、そのときの状況によって、適切な対応が、違うからです。更にいうと、対応する人によっても、適切な対応が何かは違うかもしれません。セクハラだって、誰がしたかによってセクハラじゃないかどうかが決まるって言ったりしますからね(?)。
・・・というような全てが、介助者の能力なのですが(説明ざっくりしてるな)、ユニット5ではそれらの基礎として、インタラクションというものについて学びます。インタラクションとは、インター+アクション、二つ以上のものの間の反応っていうか、関係性のことです。

そしてっもうひとつ、環境の裏づけとして「ヒューマンファクタリング」という考え方を学びます。
これは、簡単に言うと、普段私たちは環境に自分を合わせて活動しているけれど、環境を自分に合わせて活動すると自分を楽にして活動することができる、というものです。
ここで、センサリーアウェアネスで箸を折った話が出てきます。
普段は椅子に自分を合わせているし、箸が長ければ箸の長さに自分を合わせているわけです。
わかりやすくするために箸の話だけを取り上げると、手に合った長さの箸か、使い慣れた長さの箸か、少なくともそれに近い長さだったなら、体が箸のバランスを取ることに慣れているので、全身の緊張状態が普段の食事と変わらずに、ストレスが少ない状態でご飯が食べられます。
今回の箸は、折った長さを見ていただくとわかると思いますが、自分の楽な長さより2センチ近く長かったんですね(箸の形も関係あるかもしれませんが、それを言い出すと長いのでまた今度)。
普段私は東京で割と人にもまれて暮らしていますが、前日からキネステ仲間と遊んでいて、当日のんびりした街で朝からセンサリーアウェアネスを受けていたので、普段より少しだけ、感覚を繊細に使うことを自分に許して過ごしていました。そして、午後もセンサリーで、翌日もキネステでその状態が続くことは分かっていたので、自分を環境(箸・・・と、椅子)に合わせるのはやめて、可能な限り環境を自分に合わせることを選択しました。
というのが、箸の話で言いたかったことですが、どれがいいとかそれが悪いとかは無くて、自分がどれを選ぶかだなあと思っています。
そして、キネステで言うと、楽に動くために環境を人に合わせるということがどういうことかという極端な一例として、この話を書きました。
介助を受ける人は、自分で楽に動ける状況を作ることが難しくなっていることが多いです。
そういう意味では動きの感覚は鈍くなってるかおうもしれませんが、もし介助を受ける人の動きの感覚が鈍くなっているのであれば、介助者は介助を受ける側の動き感覚を補うことが動きの援助になる場合があります。人の感覚は感じられないので、結局は自分が自分の感覚をどれだけ感じられるかが重要になります。なので、自分の感覚、中でもキネステティク感覚を意識することができるかどうかは、介助者が介助を受ける人に適切な動きの環境を提供できるかどうかに大きく関わってくることになる・・・と、私は考えています。

箸は滅多に折りませんが。
上記のようなことを、ユニット5では、やっていきます。
ということで、「キネステティク・クラシックって、どんなことするの?」を読むだけでなく体験したくなった方は、ぜひ秋葉原での講習にお越しください。
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ご希望日があるかた、ご質問がある方は、こちらからお問い合わせください。

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ここで毎度おなじみの、注:
キネステティク・クラシックでは、扱う概念の内容は他の団体のキネステと同じなのですが、順番が少し変えてあります。
これは、長年日本でのキネステ普及に尽力されてきた澤口先生と中本里美さんが、日本人に理解しやすい学習の順序があるのでは?と伝え方を再検討し、現時点で一番分かりやすいのではないかという形にされたためです。
他の所で学ばれてからキネステティク・クラシックに参加すると「?」となるかもしれませんが、動いてみたらすぐ分かります、自然に動きの理解が進む順番です~(^^)


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