キネステティク・クラシックには、どうして「教師」がいないのか(教わることと、学ぶこと)

20161009oonogisanいろいろお世話になっています、「自分軸のスペシャリスト」大野木睦子さん(ブログを二つ書いていらっしゃいます→セラピストの緑ブログ起業は生き方!のオレンジブログ)。
昨日、フェイスブックに、なるほどなあ!とうなることを書かれていたのでシェアさせてもらったのですが、フェイスブックをやっていない方にもお知らせしたく「ブログに書いてもいいですか!!」と聞いたらご快諾いただいたので、書きました(説明長くてすみません)。
大野木さん、いつもありがとうございます!

シェアのとき、私がつけたコメント(本文に括弧が多かったんで、全体に二重括弧をつけてます)
『キネステティク・クラシックでは、伝える人を「教師」とか「先生」とか呼ばないんですよ。学びを促進する人、「ファシリテーター」って呼ぶんです。
ファシリテーターは、学ぶため、気付くための「環境」を用意するだけで、教えないんです(※「環境」に「」をつけてるのは、キネステでは、普通の言葉でいう環境以外にも、周りの人も含めたあらゆるものが「環境」だから)

・・・教えられるのはノウハウ、つまり、やり方だけ
考え方とか在り方とかは教えられない、自ら学ぶもの・・・

大野木さんの投稿を見て、なるほどなーと思いました。』

大野木さんの投稿を読んで自分がどう反応するかは、その人の中にあるものによると思うのですが、私が最初に思ったのは、上記のようなことでした。
ファシリテーターは教師ではない、教えない、というのは、ファシリテーターレベルの中で、何回も言われる言葉です。
私達の多くは、日本の教育の中で、唯一の正しい答えを出すことを求められてきました。でも、そもそも人間って、唯一の正しい答えで生きてたりしませんよね。これでも、あれでも、それでも別にいい、後は好みの問題、ってことも多いですし、Aの場合はこれ、Bの場合はそれ、Cの場合はあれがいいってこともあります。
キネステティク・クラシックでは、概念を体験してもらいますが、概念は教えるというよりも、端的に言うと、「知ってたことに名前をつけている」だけです。名前をつけると、漠然とした状態よりも、思考の中で扱いやすくなります。それを使って記述したり、考えたことを試してみたりするのです。

なんじゃそりゃ、みたいな説明になりましたが、キネステって三次元的な動きに関わるものなので、体験しないと腑に落ちないから、仕方ない(?)
体験してみようかなというかた、最新の予定はこちらです。
教わるんじゃなくて、一緒に学んでみようかなという方は、ぜひ。
ちなみに、今日10月10日体育の日の午後も、ざっくり体験会やってます。突然参加したくなった方は、こちらの「その他」から、ご連絡ください。折り返し場所の詳細などをお知らせします。ドタ参歓迎~、お待ちしていまーす。

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お花!箱入り!突然!(なにを言ってるんだか)


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