昨日の続きです。
昨日は、
・介助するひとの「すること」が、介助される人を固くする場合がある
・親指と人差し指に力を入れてつかまれると、痛い場合がある
・・・ということを書きました(まだ読んでないという方は、今日の内容にも関わるのでぜひ読んでみてくださいね)。
今日は、昨日とは違う実験をしてみます。
今日も、二人以上の人が必要です。椅子は一脚。
ひとりが椅子に座り、ひとりが後ろに立ちます。
まず、座っている人は、何もなしで立ってみてください。
そのあと、後ろの人が、椅子に座っている人に手で触れます。
今日も、パターンは二つ。
1 立っている人は、座っている人の背中にそっと手を添えて、座っている人が立つ動きについて行く(ついて行くだけ!です、押しません)
2 立っている人が、まず、歯を食いしばって、腹筋に力を入れてください。
その状態で、1と同じように、座っている人の背中にそっと手を添えて、座っている人が立つ動きについて行く(こちらも、ついて行くだけ!でお願いします)
終わったら、役割を交代します。
ついでに余裕があったら、最後にもうひとつ。
立っている人は1と同じようにして、座っている人、上の2の要領で、歯を食いしばって、腹筋に力を入れると立つ動きが大きく違っちゃうかもしれないので、肩をぎゅっとすくめて首も固くしましょうか。
どうでしたか。
立ち上がる役、立っていて手を添える役、
別に力を入れてないとき、身体に力が入っているとき。
何か、違いましたか?
これは、広い意味では介助する側の「すること」といえば言えるのですが、もう少し簡単に言うと、介助する側の「在り方」が、相手に影響する場合です。
私、エサレンマッサージというオイルマッサージをやるのですが、そのトレーニング中に言われたことで、今でもすごくよく憶えていることがあります。
「マッサージテーブルの高さが自分にあっていないと感じたら、たとえ既にクライアントがテーブルの上に横たわっていたとしても、一度下りてもらってでも、自分の快適な高さに変えなさい」
それがお互いにとってのよりよいセッションのためです、と。
キネステを学んで、そのときいわれた意味が、とてもよく理解できました。
人は、緊張した人に触れられると、緊張します。
緊張とは、精神的な緊張という意味ではなく、物理的な筋肉の緊張です。
本人が緊張していると思っていても、いなくても、筋肉が緊張した状態で触れれば、相手は緊張するんです。
「マッサージテーブルの高さが合わない」と思っていても、自分は緊張していると思っていないかもしれません。でも、「マッサージテーブルの高さが合わない」ということは、楽ではないということです。楽ではないと感じているというのは、言い換えれば、筋肉が余分な緊張をしていると感じているということかもしれません。
誰かをひっぱりあげようとするとき、息が止まりますね。
それは緊張のひとつのサインです。
自分のことはどうでも良い、相手を介助できれば、と思っている時。
自分のことはどうでも良いと思って動いている時点で、おそらく、相手のことをもどうでも良く扱っています。
相手を大事に扱うためにも、まず知らなくてはいけない、きちんと扱わなくてはいけないのは、自分です。
自分の扱い方を知るために、キネステティク・クラシックの、パーソナルレベルを。
ここだけの話ですが、自分を本当の意味できちんと扱うことが出来れば、応用編を受けなくっても相手をきちんと扱えますよ(コッソリ)