曽我さんのブログにヒントを頂いて書いている、「寝る」という活動と環境についてのブログ、4日目です。
昨日のブログは、エアーマットに代表される、動くときに自分が接している面に圧をかけにくい環境は、
・動く能力が高い人とまったく動けない人にとっては、除圧によって褥瘡ができにくいというメリットだけを享受することが出来る
・上記の二者の中間の人にとっては、褥瘡ができにくいメリットはあるものの、自力で動こうとすることの妨げにもなる
・・・という内容でした(ちなみに上のまとめは、昨日の雑なブログを読んでくださった曽我さんの「こうやったらもっと読みやすいと思いますよ」という助言を意識しました。ありがとうございます、さすが心の整理の達人です)。
では、本日の内容。
昨日のブログの例で、もう私は動けなくなってしまった、と思う人が居そうなのは、何故でしょう。
ご本人がエアーマットに逆らって動くだけのスキルが低下するから、というのがひとつの理由です。
それともうひとつ、ご本人の動くスキルに合わせた環境が提供されていないから、という理由が考えられます。
それでは、ご本人に合わせた環境って、なんでしょう。
ご本人に併せた環境とは何かというところで、昨年の昨日のブログを見てみましょう。「立ち上がりのエア介助」という記事です。
リンクを見るのは面倒というかたのために、環境という観点だけかいつまむと、
「介助者は被介助者の動きを助けることも出来るが、邪魔をすることも出来る(介助者が意図する、しないに関わらず)」
というようなことを書いてます(具体例が知りたい方はリンクから全部読んでみてください)。
介助者は被介助者にとって、動きの助けになることもあるし、邪魔することもある、自分以外の何かです。
つまり、介助者は被介助者にとって、動くときの「環境」です。
キネステでは、介助者も環境であると、明確に定義されています。
そして、環境の部分で、ヒューマン・ファクタリングという考え方を、体験を通して学びます。
ヒューマンファクタリングとは、何らかの活動が行われる際に、人が環境に合わせるのではなく、環境を人に合わせるという考え方です。
ものすごく大雑把な例を挙げると、前にブログに書いた、トイレの介助の台と手すり。
使いやすい場所に動かすことができる台は環境を人間に合わせているけれど、壁に固定された手すりは人間を環境に合わせている、と考えられます。そうすると、ヒューマンファクタリングに基づいた環境はどちらかというと、人間の使いやすいところに動かせる台の方かな、ということになります。
私たちは、自分の動きに余裕があるときは、環境に自分を合わせて動くことが出来ます。
動きの能力が損なわれているときは、動きやすい環境が提供されることによって、低下した能力を補うことが出来ます。
動きの能力が損なわれているときに、環境に自分を合わせて、今までと同じことを同じようにしようとすると、自分の能力が低下して動けなくなったことだけが強く感じられます。
今までと同じに動きたい気持ちも分かります。でも、それで動けなくなったと思い込んで動かなくなるんだったら、環境を整備して動けるようにしたほうが、心身両面にとって良くないですか。
目が悪くなったら、大半の人は眼鏡をかけますよね。あれも、環境を人間に合わせるということです。動きでも同じように環境を動く人に合わせれば、動く能力が多少錆び付いても、動ける生活を送れます。
それでは、人に環境を合わせるって、どういうことでしょう。
上を見てお分かりかもしれませんが、一見人に合わせているように見えるけど、実はそうでもないこともある環境、というものが世の中にはあったりします。
動きたいときのエアーマットや、固定されているトイレの手すりのように。
今日で終わるかと思いきや、長くなったので明日も続きますm(__)m
今日のまとめ
・ヒューマンファクタリングの考え方を使うと動きが楽になりますよ
明日の予告
・人に環境を合わせることについて
曽我さん、今日もありがとうございます!