利用者さんにときどき言われる言葉に、俺は(もしくは私は←なぜか言われる率が男性のほうが高い)どうせもうすぐお迎えが来るからな、というのがあります。そのとき私は「いやー、帰り道で自転車がばーんといって、私がお先に失礼するかもしれませんから~」と答えるのですが、これ、方便じゃなくて本当に、本気で言っております。みんな、この地上で生きてるという状態はいつか終わります。それがいつなのかは誰にもわかりません。そういう意味ではどんな状態の人も命の前では平等です。
病気も同じですよね。健康と病気は壁のこっちと向こうのように思っていることがありますが、壁があるとしてもうすーい壁です。壁の向こうにいると思っている患者さんと、一瞬あとは同じ側にいるかもしれません。というか、実は間には壁なんてなくて、向こう側だと思っているそこは、ここと地続きの同じ場所です。いま現在はたまたまこういう場所にいますが、一瞬あとに同じ場所にいるかどうかは、本人であれお医者さんであれ占い師であれ、誰にもわかりません。
訪問を利用してくださっている方の中に、ご家族はお勤めで日中は何の苦も無くお一人で過ごされているかたがけっこうな割合でいらっしゃいます(訪問マッサージは、医師が必要性を認めた方に健康保険の適用で行われるので、とくに介護が必要ではないかたもいらっしゃるので)。そのかたたちの状態が何かのきっかけで悪化して介護が必要になり、ご家族がいろいろ対応されるというケースを何度も見てきました。その中で時々聞く言葉があります。
「今までこうなると考えたことも無かったので、何をしたら良いか、何をしてあげられるのか、わからない」
そうですよね。私だって同じ立場ならそうだったろうなあ、と思います。日々に忙しくしていると、先のことを考える余裕は持ちづらいですし、ましてや、まだ起こっていないことの良くないケースというのは、考えたくないものです(それが起こるか、わからないしね)。
そういうことがあるたびに、キネステが広まって、まだ介護をしても受けてもいない人がちょっとでもキネステをかじってくれるようになったらいいなあ、と思います。キネステは、仕事で人にかかわっている人にはもちろん、そうでない人にとっても、
自分の健康にも役に立つし、
誰かを介助する時にも役に立つし、
誰かの介助を受けるときにも役に立つ。
とつぜん介護をすることになったご家族に、キネステの中で取り急ぎ日常必要そうなことをお伝えすると、
「こんなちょっとしたことで、ぜんぜん違うんですね!」
と、言われることがあります。
ちょっとしたことなんです、でもそこには納得できる「概念」という裏づけがあって、その「概念」は状況にあわせて道具のように使っていくことができます。
いまは必要ないと思っているときにこそ、キネステを。
宣伝のようですが、日々心から感じていることでもあります。