昨日のブログ続き・学習にかかるもの、手間と、時間と、●●と

昨日の「自然な動きは再学習するもので、自然には戻らない」というブログに、コメントいただきました。
ご本人が「言い過ぎたかも」とのことなので、ここにコメント内容は書きませんが、「学習にかかるのは手間と時間だけではない、お金もだ」というような内容です(ざっくり)。
それに対して返信を書きましたら、たいそう長くなりました。
もったいないので、ブログ記事としてコピペしました。
それがこれです。
ご興味のある方は、読んでみてください(最後に付け加えた部分がありますので、もしお読みになるならそこまでお願いします)。

コメントありがとうございます。(中略)
書かれていたことは、勤め人しかしたことの無い人には???かもしれませんが、自力で仕事をしようとした人には良くわかる・・・というか、当然の感覚だと思います。
私は卸売りに勤めていたので、「卸って商品の横流しなのに中間マージンとってて変じゃない?」みたいに会社員時代から言われることがありましたが、マージンを払うだけの価値があったから、産業として成立していたんです。
それと同じことが、個人でも言えますよね。
おっしゃっている、何かを得たいときに他の人の知識や手間を頼ることの代償は、卸売りの取る利益と同じです。

もうひとつ。
なんでも安ければいいとか、教育や健康に関することで儲けるのは汚いとか、できれば只でノウハウを得たいとか、物ではない技術的なもの(これは、絵を描く友人、手技をする友人、物を作る友人、縫い物をする友人などの総意)にはお金を払わないとか、そういう人が時々居ますが、そういう人は「それがそうなるまでにどういう過程を経てきたか」に対する想像力が無いのではないかと思います。
安い食べ物は、安い理由があります。
安い服にも、安い技術(?)にも、理由があります。
安いものを求める人と同じ人間が提供している以上、絶対に理由があります。
「不動産にお買い得は無い」というのは不動産に携わっている人から聞いた言葉ですが、他の事も大体同じです。なんか理由があるんです(お客さんに来て欲しいから安くする、というのですら、売る側が買う側に遠慮しているという理由があります)。
只で知識を得たい人とか、安く知識を得たい人は、「得する自分」が欲しいというのが第一の目的になっているので、学習の目的が最初から逸れてしまってます。
そのものに価値を感じていて、存続して欲しいと願うのであれば、得たいものの対価は、ぼったくりで無い限り、払った方がいいです(美味しいと思う店には時々行って美味しいと具体的に伝える、というのと同じですね)。

ぶっちゃけ、「すごくいいものをありがとう、感謝しているわ」と言ってお金を払わないというのは、提供する側から言うと、態度と言葉が一致していません。
あなたの感謝しているすごくいいものに本当に価値があると思っていて、私(と、私がそれを身につける過程)を普通に人間として尊重しているなら、対価を払ってくださいねというのが正直な気持ちです。

以上、コメント返信からの引用です(コメントくださった方には言わずもがなの内容ばかり)。

補足1・私がやってる講座で、現在無料で受けられるものがありますが、それは、こういうのを受講してもらったら自分に何らかの益があると考えていらっしゃる組織が、受講者さんの代わりに私に対価を支払ってくれています。なので無料で受講できるのは提供してくださる組織の方々のおかげです。ありがたいことです。

補足2・以前、別のことをしている友達と話していたら、何のきっかけだったか「今まで勉強したお金で車が買えるね」という話になったことがあります(爆)
「うん、軽自動車が買えるね」
「しかも新車が買える」
「っていうか○○sちゃんは普通乗用車の新車が買えるよ」
「それならつかさんは外車の新車が買えるよ」
・・・お互い、好きでやってたんで、いいんですけど。
その結果が現在の講座です。
(その○○ちゃん、現在ものすごくご活躍されていて、ほんとうに嬉しいです)。

補足3・お金のことを書きましたが、お金が一番大事なわけじゃないですよ。
以前、「キネステを紹介するような実技講習をやって欲しい」とオファーが来た中に、「一時間で」と話があったことがありました。
・・・これ、書いてたら長くなったので、もう一個書きます。


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