痛みのある人のキネステでの介助・その5 (最終回)「相手の状態に、自分が引きずられない」

先日の記事の続き、最終回です。

・ゆっくり丁寧に
・ご本人に聞く(言語ではなく聞く場合もあり)
自分で動けた、と感じてもらえるような介助をする
・相手の状態(この場合は痛いということ)に、自分が引きずられない

・・・という、痛みのある方への介助のとき気をつけている四つのこと。
本日は最後の項目、「相手の状態(この場合は痛いということ)に、自分が引きずられない」についてです。

相手の人が、痛いと言っています。
それは、相手の人の「感覚」です。
キネステを学習すると出てきますが、「感覚」は、その人だけのものです。
相手に押されているとしても、押されているのを感じているのは、自分です。
相手が痛いと言っているときは、痛いのは相手です。
自分がそのことで相手と一緒になって、触れることに対して不安とか、恐れとかを持つ必要はまったくありません。
「痛いかもしれない」と思うなら、ご本人に「触らないほうがいいでしょうか」と、聞きましょう。
「痛いかもしれないから、触らないほうがいいだろう」というのは、相手の人の判断ではなく、あなたの妄想による判断です。それは、相手の人の判断を奪っていることになります。

痛いとき、痛がっている人に触れる場合に役立つ振る舞いの最後は、自分が自分としてと、相手とは異なる者として、ニュートラルで居ることです。
これはエサレンを学んでいたとき精神的なものとして、クラニオセイクラル・バイオダイナミクスを学んでいたときに肉体的なものとして叩き込まれたのですが、痛いとか辛いとかなにか困った人と一緒になってついていってしまうことは、まったくお互いのためになりません。おぼれる人には自分は安全な場所に居て浮き輪を投げろといいますね。あれと同じです。
おぼれていない人に課された役目のひとつは、おぼれていない状態で相手に力を貸すことです。一緒におぼれることではありません。
同じように、介助者に課された役目のひとつは自分を状況に応じて手助けができる状態にしておくことですし、施術者に課された役目のひとつはクライアントに安心して使ってもらえるアンカー(錨)になることです。
どれも、自分がある程度安定していることが必要です。いっしょになっておろおろしている場合ではありません。
キネステの概念で言うと、環境としてどれだけ自分を提供できるかが、まず問われるということです。

 

以上は、キネステティク・クラシック以前の話でもありますが、新しく加わった内容のところや、参加者さんが「現在困っていること」として関連した内容を出された場合は、少しこのことに触れたりもしています。
ご興味のあるかたはぜひ、体験会やコースの見学に、ぜひどうぞ
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ちょっと前の月、JR御茶ノ水駅聖橋口にて。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


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