私は手すりであり、手すりではない

私、ひさびさに、手すりにされそうになりました。
ベッドから起き上がれない方、手を貸して…って、その手の貸し方は、人間としてではなく引っ張る物として求められてますね?今すぐ起きなくて大丈夫ですから、この場合、引っ張ることが最善かどうかをまず考えてみましょうか。
ご家族も何の疑問もなくお互いそうされてるのかもしれませんが、引っ張る物として周りの人を求めたり、自分を提供する前に、やれることがたくさんあるはず。単純に引っ張る、引っ張られるで起き上がることだけが習慣になると、介助する側にとっても、される側にとっても必ずしもよろしくないことがあったりします。
介助する側は、無理な姿勢で引っ張られることによって、体をいためるかもしれません。そもそも引っ張られるだけの存在として手を貸せと言われるのって、結構なダメージですよ。相手に物として求められているってことですから。
介助される側は、引っ張るだけで起きようとすると、自分の持ってる資源を十分使ってません。日本人は引っ張ることが本当に好きなので、とにかく引っ張って起きたい人が多いのですが、ベッドが固ければ押すことができます。そして、起きあがりやすい姿勢というか、コツというものもあります。その辺をまるごと無視して、ただただ誰かを引っ張って起きるのは、決してご本人の為になりませんよ~。
ということで。
はい大丈夫ですよ~自分で起きるのもリハビリですよ~と言いつつ、手すりとしてではなく動き方のヒントとしての手をお貸しして、八割方ご自分の能力で起きて頂きました。
ご本人は優しくされなくて不満だったかもしれませんが、できることはして頂きます。私は手すりとして訪問しているのではなく、リハビリのために訪問してるのですから。
ではありますが、本当に動く手すりとして必要なときは、喜んで手すりとしての手をお貸ししますよ。一方的に手すりとして使われるのと、合意の上で手すりとして自分を差し出すのとでは、一見同じように見えますが、関係性の文脈の上では、全く違います。この辺はキネステでは、インタラクションという概念で学ぶところですね。
お互いにお互いを上下なく人間として扱い、できることを提供しあって動くことを体験する。それが介助になり、動きの学習としてリハビリになり、動くことで動的な施術となることを、訪問マッサージ師としての私は日々目指しております。


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