子離れとインターネット(キネステティク・クラシック ネオのインタラクション)

最近インタラクションについて考える出来事がいくつかありました。
インタラクションとはキネステ用語で、コミュニケーションのことです。インタラクション=Inter+action。つまり、複数の物の間に起こる活動、ということになります。

インタラクションについて考えたこと、一つ目は、ネットで知り合った人に会いに行って刺したという事件です(これ、逆は良く見ます。ネットに何か書き込んでるのに、人が見てると思っていない、もしくは自分の知ってる人以外は見ていないと無意識に思っている←これについてはまたの機会に)。

ネットでのやり取りは、双方向に見えて、双方向では無い場合があります。というか、これは、双方向ではありません。一方向の相互通行みたいなもの。どういう事かと言うと、相手の理解が無くても成立しているように見えるのです(簡単に言うと書き逃げ、言い逃げ)。
なんでかというと、ネット上は匿名性の強い世界だからです。距離が有って書き逃げ言い逃げだからそういう対応をしている、ということが、時々…というか、よくあります。「それ、相手が目の前に居ても言えますか?」ってやつです。
どういう意味であれ、目の前に居たら言えない事を距離と匿名性を利用して伝えてしまうというのは、その距離と匿名性が無くなったときにどういうことになるのかなと言うことを、上記の事件で考えさせられました。

もう一つは、子離れの話。
子どもが小さい時は、子どもが小さいなりに相応しいインタラクションがあります。それは自立した人向けではなく、ひとりで何かを初めてやる人や、経験の少ない人向けのインタラクションです。そのうち子どもが成長したら、それ以外のパターンのインタラクションを使うことができるようになります。
ところが、子供に対していつまでも、経験の少ない人向けのインタラクションを取ろうとする親が居ます。
「私の方がこの子のことは知ってるから」
「親の方が世の中の事を知ってるから」
「先回りしてやっておいてあげないと」
みたいな奴です。
成長していって自立してきた人、必要な援助を自分で求められるようになってきた人、困った時だけ助けて貰えば出来るようになりつつある人に経験の少ない人向けのインタラクションをいつまでも取り続けるのは、「私はあなたの事を一人では何も出来ない人だと思っています」という、非言語的なメッセージです。
いつまでもインタラクションを変えない親に反抗した子どもが居たら、それはまともな成長で素晴らしい対応であり、決して嘆かわしい事ではありません。
同じように、ご年配の方にご本人の出来ることを無視して何もかも手伝うインタラクションをとることは、「私はあなたの事をもう一人では何も出来なくなった人だと思っています」という、非言語的なメッセージです。
私はできる人、あなたは出来ない人、だから私が何かしてあげなくてはいけない、という、自分を無意識に持ち上げる為に相手のことを親切を装って落とす心理が、自分の中に隠されていないかどうか、時々気をつけた方が良いと思います。

ちなみに今の世の中、単純に「親の方が世の中の事を知ってる」というのは、ほぼ誤解です。子どもはおそらく、親が若かった頃と同じ社会には対面していません。
同じように一から世間の荒波に揉まれるなら、どうみても子どもの方が有利です。若いし、これからそこを生きてくんだし。ですから親は受験でも就活でも学校生活でも、「ごっめーんわからないから自力でなんとかしてー」と言っておいて、子どもが困って助けてと言ってきたらできることをする環境を作っておく位の方が良いんじゃないのかなと思います。決して先回りではなく。

以上、自分もネットも子どもとの付き合いも現在進行形なので、自戒も込めてのインタラクションの話でした。


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