精密と苛烈

今日のブログは個人的に思うことです。キネステはあんまり関係ないかもしれませんが、全然関係なくも無いので、こちらに書いておきます。

私は日本語の使い方に変なこだわりがある部分があって、それが他の人に分かってもらえないことがあります。こだわりが分かってもらえないのではなく、こだわりがあるということが、分かってもらえません。

昔、直接お知りあいでない方に、ブログで「某さん」と言われたことが有りました。そこで私は目茶目茶腹を立てたのですが、なんで腹を立てているのか、誰にも全然分かってもらえませんでした。
知らない人に某と言われることは、私にとっては蔑称です。ニュアンスで言うと「どこぞの馬の骨」です。知ってる人なら「名指しできない知り合いの人」と読めるんですけど、知らない人からの某呼ばわりは無理。私のブログ読んで引用するなら、ブログに書いてある名前呼べや!!と一人で憤慨しておりました。

で、何が言いたいのかと言うと、どのくらい物事に精密さを求めるかは、人や立場によって違うんですよと言うことです。上の某はちょっと例としては変ですが(もっと一般的で無難な例が思いつかなかった…)、求めるものが精密であればあるほど、その針の穴に通らないものを退けようとする対応は、苛烈に見えるようになります。

人に聞いたんですが、カーリングのストーンは、髪の毛一本落ちていても、曲がるそうですね。選手の方々は達人なので、おそらく髪の毛が落ちていたとしても、それを知っていれば、ある程度はストーンを思うとおりに扱えるでしょう。でも、コントロールが出来たとしても、オリンピックの舞台で、そこに髪の毛が落ちていることを許すでしょうか。

私のヒプノセラピーの師匠、谷原由美先生が「正しい厳しさが無いと人は育たない」とおっしゃったことがあります。自分も人も同じです。正しい厳しさが無いと、目的から逸れて、曲がります。
厳しさは、狭量さではありません。
それを間違えることの無いように、真摯に物事を見ていきたいと思います。

 

 


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