キネステを学ぶことは、ネガティブ・シンキングか

加古川でのキネステティク・クラシック ネオ、3日間のコースが終わりました。熱心な参加者さんたちと、忙しいところ時間を作って来てくれたファシリテーター仲間の方々と共に、楽しく充実した学びの三日間を持つことができました。どうもありがとうございました。お声を掛けてくださったからこその機会だっとので、そのことにも重ねてお礼を申し上げたいと思います。ありがとうございました。

ところで、最近聞いたお話。
キネステを受けて、こんなに楽に動ける方法があるんだ!と思ってお友達に伝えたら、そのうちのお一人が、今から将来のことを気にして備えるなんてネガティブ・シンキングだから気にしない方がいいと言われた、というもの。
もうひとつ、似たような話で、筋肉は使った方がいいんだから、楽な動きを学んで怠けさせるのはいかがなものか、という、これは体験してくださったスポーツ系の方からの疑問。
まず、最初のから、私の考えを書きますね。

みなさん、お家の冷蔵庫の中味は、毎晩空っぽになってますか?
明日食べる食べ物を入れておくのは、ネガティブ・シンキングでしょうか。
明日の朝までに食べ物が要らない状態になってるかもしれないから、食べ物を備えないこともできますね。
だけど大半の人が食べ物を備えておくのは、「高い確率で起こる明日に備えている」からではないでしょうか。

介助や介護は、今元気なときは他人ごとかもしれません。でも、2025年には人口の約3割が65歳以上の高齢者になるというのは、天変地異が起こったりしない限り、覆せない事実として決定しています。
その分、若い世代の割合は、減っていきます。今までと同じ人口構成ではなくなるのです。
このような今日からみれば、今大人になっている人は何らかの形で介助二関わらなくてはいけない場面があるだろうことは、「高い確率で起こる明日」です。
年長の身内が全員亡くなっていて人の介助をしないという人でも、自分が介助を受けるようになるとか、自分の介助を自分ですることになるとかは、若くて健康なうちにこの世を去らない限り、「高い確率で起こる明日」です。

バスのステップが登れない。
駅の短い階段を降りると膝がかくっとなって怖い。
靴や靴下を立ったまま履くのが辛くなる。
床に置いてあった新聞で滑って転んだ。
突然発病して、片手が動きにくくなった。

こういうことに対処できる身体の動きの選択肢を、ある程度健康なうちにあらかじめ試して知っておくことは、ネガティブ・シンキングでしょうか。

そもそも、キネステティク・クラシック ネオで学習することは、介助に使うととても楽になりますが、自分の動きに使っても、今大変な動作を楽にすることができます。
本来は、明日への備えですらなく、今でも役に立つことです。

加古川に参加してくださった方々と話していて、人はやっぱり今までやっていた慣れたことがやりやすいので、新しいアイデアを知って、それがいいと思っても、すぐに身に付くものではないという話題が出ました。
備えるのはネガティブ・シンキングだから、動きにくくなってからキネステを学ぶ。それでも楽にはなるでしょう。でも、慣れ親しんだ動きをしたい身体を、新しい動きに慣れさせるのは、動きにくくなってからよりも楽に動けるうちに、少しでも知っておいた方がスムーズです。

明日起きたら冷蔵庫が空っぽだった、ということが、身体についても起こらないように、健康法のひとつくらいの軽い気持ちでキネステを学んでみてはいかがでしょう。
使ってみる気で学んで頂けば、必ず役に立つことがあります。


コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です