リソースがいっぱい(※クラニオで・昨日の続き)

昨日の記事の続き・リソースをセッションでどのように使うか、です。

自分が好きなこと、快いこと、楽しいことなどを、クラニオ(や、ほかのボディワーク)では「リソース」と呼びます。

クラニオのセッションにおいて、リソースは、
受け手の落ち着きを促したり、
セッションが不安定になったときに安定の方向への呼び水として使ったりします。

つまり、快や喜び、嬉しさなどの、頭やハート、気持ちで感じる「いい感じ」は、身体を「いい感じ」に近づけやすくするというわけです。
何を隠そう、私はこのリソース書きが大好きでとても得意で、紙がびっしり埋まって埋まりすぎて、師匠に毎回はいはいはいあなたはそうよね~では次の人と流されるくらい、好きでした。なんでそんなだったかというと、ほかの人が書かないような細かい細かいこと、たとえば今日ここに来る間に変な模様の猫を見たとか、人懐っこい犬を見た、みたいな、ほかの人にとっては取るに足らない、どうでもいい、些細なことまで書いていたからです。
・・・で。リソースは、少ないよりは多いに越したことは無いのです(たぶん)。質ももちろん大事ですが、量も馬鹿にできないレベルで大事です(たぶんね)。打ちのめされた体験の後のご飯がおいしいご飯とか、ショックを受けてうつむいたら小さい花が咲いていた、とか、落ち込んで電車に乗ったら前の電車との感覚が近かったらしくて席がどーんと空いていた、とか。どうでもいいようなことですが、あるとなしとでは気分が違う・・・はず。
質より量、無いよりは有ったほうがマシ。あほと言われようが能天気と言われようが「悩みがなさそうですよね」と言われようが、どんなに小さかろうが、リソースをどんなときでも拾えること、たくさんひろえること、小さくってもひろえることは、生きていく上での思わぬへこみから自分をちょっとだけでもすくい上げてくれることがあるかもしれません。

快を意識すると快はひろいやすくなったりするので、リソースっぽいものがやってきたときに「お、これは私のリソースか・・・」と噛みしめてみたり、何が自分のリソースなのかをときどき考えてみたり書いてみたりするのをお勧めします。
そうしていると、クラニオのセッションでプラクティショナーに、
「今からだの中で良い感じのところはどこですか?」
と聞かれたときに、

「いい感じのとこがあったら、ここに来てません」

・・・と、答えたりなんかしなくてもいいようになっちゃったりする・・・かもしれません・・・ね・・・(いや、いいんですよ、無ければ無いで全然良いんです・・・)

 

しだ!

シダが微妙なグラデーションになっているだけでも、目に快ければそれはリソース♪


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